近代以後最悪のカルト事件

19世紀末〜20世紀初頭の朝鮮は世相が混乱し、大衆はさまざまな新興宗教に救いを求めていた。そうしたなか、全竜海の父・全廷雲(チョン・ジョンウン)が東学党の分派として詐欺カルト集団 “白道教” を始める。教義は “1904年に天変地異が起きて世界が滅ぶ” “白道教に帰依して娘と全財産を捧げれば滅亡を免れ地上の楽園に行ける” というもの。白道教は1万人近い信徒を集め、廷雲は60人以上の妾をはべらして放蕩を尽くす。やがて1904年が何ごともなく過ぎると信徒が動揺し始めたが、廷雲は反抗的な信徒を次々に殺害して口を封じた。

廷雲が没すると子供らの財産争いが起きる。最終的に教団を支配したのは、次男の竜海(ヨンヘ)。竜海は教団名を “白々教” に改称、1923年に朝鮮総督府から公式に布教許可を得て多くの信徒を集める。信徒には日夜 “白白白衣衣衣赤赤赤感応感感応ハシオプ崇誠” という呪文を唱えさせるなど、怪しげな教義をいくつも作った。財産奪取などの手口は父親とほぼ同じだが、無学な庶民を洗脳する手腕、そして残忍さは竜海が上だった。

竜海は幹部らを朝鮮各地に送り、美しい娘を持つ親を重点的に布教。信徒の一部は人目につかない山中のアジトに住まわせて農作業などをさせたが、官憲に怪しまれそうになるとみな殺しにした。そのようなアジトは全国各地20数カ所に及ぶ。

また教団に不満を抱く信徒、妊娠するなど用済みになった娘らも容赦なく殺害。殺害方法は信徒らに棍棒で撲殺させるという野蛮なものだった。信徒らを殺人の共犯にすることで、教団の実態を外部に漏らさないようにする意図もあったともいわれる。同様に竜海はしばしば娘を信徒らに輪姦させ、レイプの共犯関係を作ったという話もある。

1930年にささいな詐欺の疑いが官憲の目に止まり、白々教はいったん解散させられた。だが竜海はさらに地下に潜伏して布教を継続。摘発によって教団の規模は縮小したが、凶悪さはいっそう増した。殺人件数が飛躍的に増えるのは1932年からだという。

教団の最後

教団が崩壊したのは1937年。祖父の財産と妹を白々教に奪われた青年ユ・ゴニョンは、教祖・竜海と直談判するため嘘の入信を願い出た。ゴニョンが入信と面会のための修行をクリアしたこと、またゴニョンが漢方薬の売買で財をなしていたことに気を許した竜海は、京城(現在のソウル)の料亭にゴニョンを呼び出す。

そこでゴニョンの本心を知った竜海は激怒、その場で手下に殺害を命じた。だが格闘の心得もあったゴニョンは互角に戦い、料亭外での乱闘騒ぎとなる。そこへ日本の警官が駆けつけ、ゴニョンと手下を逮捕。竜海だけが逃げ延びた。

解散したはずの白々教が活動を続けていたことを知った警察は、捜査を開始。竜海の行方を追って各地のアジトを調べる過程で、無数の死体が次々に見つかった。事件はすぐさま世紀の猟奇事件として報じられ、予想外の規模に驚いた警察は報道管制を敷くほどだった。やがて捜査開始から50日後、竜海の自殺体が見つかる。京城郊外の山中で自ら首をナイフで刺して死んでいた。死亡時の年齢は42歳だったという。

警察が各地のアジトから発掘した死体は346体。1941年、教団関係者18人のうち14人が死刑、4人が懲役7~15年の判決を受けた。判決は朝鮮のみならず日本でも大きく報じられたが、戦局が厳しさを増す当時の世相下ではほどなく忘れられた。

事件後も絶えない噂

警察が確認した以外にも死体はたくさんあるという話が根強く語られている。真偽は不明だが、アジトがあった場所を掘り返せばいまでも人骨や衣服の切れ端が出土するとか。そのため殺された人の数は600人、あるいは数千人に及ぶのではないかとも噂されている。

竜海の自殺体は別人という噂もある。生涯通して官憲の目を逃れようとしていた竜海は1枚の写真も残さず、周囲の近しい者にしか素顔を見せていない。警察で死体の身元確認を行ったのは当時15歳の息子のジョンギだけだった。そのため背格好が似た誰かを殺して自殺に見せかけたのでは、という話。

犠牲者のなかに日本人がいたのではないかともいわれている。当時の報道や公判記録には書かれていないが、死体の発掘現場から日本人の着物が出てきたという噂も。教団の残党、竜海の子孫らがその後も密かに活動を続けた、ともいわれる。1962年に起こったカルト教団事件でも、元白白教幹部の関与が疑われた。またこれまで “百白教” のタイトルで事件の経緯が2度映画化されている。

保存されていた全竜海の頭部

2010年1月、韓国のある僧侶が韓国政府を相手に訴訟を起こした。訴えの内容は、国立科学捜査研究所に保管されているホルマリン漬けの人体標本2つを破棄しろというもの。1つは1937年に死んだカルト教団 “白々教” の教祖・全竜海(チョン・ヨンヘ)の頭部。もう1つは20世紀初頭の芸者・明月(ミョンウォル)のものとされる “生殖器”。いずれも朝鮮を統治していた日本の司法機関が、科学捜査、また医学上の資料として保存したものだという。

僧侶は標本が興味本位で作られたものであり、政府機関による保存は人権問題上望ましくないと主張した。国立科学捜査研究所は両標本を1955年から保存しているが、どんな経緯で持ち込まれたかなどは分かっていない。同年6月、裁判所は人道的観点から明月の生殖器標本の廃棄を命令。また竜海の頭部似ついても、2011年10月に国立科学捜査研究所が破棄の方針を発表した。

ホルマリン漬けの頭部は一時公開されていたことがあり、その存在は一部で知られていたという。これを聞きつけた子孫が科学捜査研究所に返還を要請したという話もある。非公開となった後の2007年、韓国SBS(地上波テレビキー局の1つ)がその映像を公開して物議をかもした。